上手く出来た話

~平成の最後に寿退社し、 令和の初日に結婚した私のお話~

毎日何か1つ新しいことを

 人間は、毎日何か新しいことを1つでもしたほうが良いと良く聞くし、実際人生に彩を加えるためにはそうだと思う。
 なので、駅までの道を毎回違った道で歩いてみたり、、、歩いてみたり、、、歩いてみたり、、、それはそれで、公園の草花を見て季節を感じて、幸せを感じて平和に生きていける事に感謝をする。

 また、私は、食にあまり興味がない(このことを言うと母親に怒られるのであまり大きい声では言えない。だってどこに行っても今の日本では大抵のものは美味しい。何でも美味しく感じれるのはむしろ誇るべきだと思うのだが。)ので、新しいレストランの開拓等してこなかった。でも、体験型欲求、知的好奇心は幼いころから旺盛で、何でも新しいことはやりたがったし、実際やってきた。

 そして、先日。人生初めて、宝くじを買った。
元々買う気なんて全くなかったのだが、2日前に遊んだ友達が、実家の近くの土地を買いたいが為に家族全員で宝くじを買ったという話を聞いたのと、たまたま宝くじ売り場の前を通った時に、
「宝くじ、明日まで!今日は大安!」
というリピートされてる宣伝を聞いてしまったが為だ。
仕事を辞め、無駄遣いを一切しない真っ当な人生を歩みだした私に、なぜかその言葉は響いた。
おっ!これは買うしかないな!
列ができていたが、わざわざ並んで3枚買ってしまった。
この姿を義母に見られたらどうしよう。何連番って?どう買うの?
やはり、初めての体験はドキドキする。そして、もしかすると!というお金がかかっている話だと、ワクワクし、アドレナリンが全開に放出される!初めてラスベガスのカジノに行った時の感覚だ!
私は汗をかいていた。何かに導かれるように3枚買った。
その帰り道、3億円当たったら、1千万円だったら、100万円だったら、、、とニヤニヤしながらいつもと同じ駅からの帰り道を歩いて帰った。同じ道だったが、頭の中で考えていることは幸せなことだらけで夢が膨らんでいたので、本当に楽しかった!
当たる、当たらないに関係なく、何か新しいことをすることは本当に人生を豊かにするとわかった。
そして、当たる当たらないに関係なくといったが、買わなかったらそもそも絶対当たらないのだから、それを考えたら自分が破滅しないくらいのギャンブルなら多いに結構だと改めて思った。
そして、このブログのタイトルは「上手くできた話」だから、多分当たるだろう。そして、もし当たらなくても、このように1つのネタになっているのだからプラマイゼロ、いや、絶大なるプラスだ!!

そして、
初めての当選発表!!→見方が分からなかったので、ネットで調べて確認した!
見事に、箸にも棒にも、、、
でも、楽しかった。毎回3枚くらいづつ買って奇跡を夢見よう!

50対50のお見合いパーティーin名古屋

 名古屋に転勤中、事務所の独身男性3人と独身女性3人で50対50の大規模なお見合いパーティーに参加した。「マーケットの市場調査を兼ね行ってこい」と上司の指示でもあったが、我々はそれなりに気合を入れ、皆思う存分真剣に取り組んだ。

 まずはお見合い回転寿司からスタート!一人1分ずつ、男性陣が女性陣の席に着き会話を楽しんだ後、隣に移っていくシステムで全員と会話をする。つまり50分間しゃべり続ける。
 人は、見た目が9割という本が流行ったが、確かに1分間あれば、この後もっと話したいかどうかがわかってしまう。私は50回繰り返される1分間の中で、ニヤニヤもしたし、イラっともしたし、喧嘩もした。

 でも一番面白かった事は、50分の3の確率で、事務所の男性陣が目の前に現れる事だ。周りに知り合いだとか、ふざけているとかばれないように、初対面を取り繕う。

「あっ、どうも初めまして~。おしゃれですねー?アパレル関係ですか?」

「いや、アパレルではないのですが、アパレルの方とは良く接しますね」

「そうなんですか。私もです。ご趣味は?年齢は?お休みは不定休ですか?ご出身は?」

全て知っている質問をし、1分間笑いをこらえる!!

これが3回あるものだから、それは3人目ではもちろん双方吹き出してしまう。

随分盛り上がっている2人がいるなぁ。周りからはお似合いカップルに思われたに違いない!

その後、お見合い椅子取りゲーム、マッチングタイムと続くが、我々全員カップル不成立で敢え無く退散。反省会へ。

皆少々凹みつつも、

「我々がモテなかったのは、転勤族だからだよ!」

と慰め合いそして、

「マーケット調査できてよかったよね!やっぱり車関係っていう人多かったね!」
などと強がりにも似た会話をし、お見合いパーティーは終了した。

楽しく色々学びの多いパーティーでした。

 

お見合いパーティー in TOKYO

 34歳の時に4年ぶりに名古屋から東京に帰って来た。
 両親からも「早く結婚しろ~結婚しろ~」と言われ、言われ過ぎて逆に「しない!」なんて強がってもいたが、自分の中でも“もうそろそろかなぁ”という思いもあった。なので、独身の高校時代の友達と東京で初めてお見合いパーティーに行ってみた。

 今のお見合いパーティーのシステムはとても進化していて、iPadを使って行われる。男女12対12のパーティーでは、予め、①~⑫の番号ごとにiPad上にプロフィールが記載されている。名前、年齢、出身地、趣味、年収etc..。そのデータを見ながら1人5分間ずつ話をする。元々手元にデータがあるので、趣味などで気になる事があれば掘り下げて聞けるシステムだ。素晴らしい!

 初めて仕事帰りに行った時、気合を入れて自分の勝負服で挑もうと、コムデギャルソンのシャツとジャケットをビシッと決めて行った。
 そして、12人と5分間づつ話、1時間。クタクタになったところで待っているのが、iPad上で行われる「いいね!」ボタン送信会だ。気に入った異性①~⑫の番号の所に「いいね!」を送信する。そして、集計後、自分が押した異性の番号と、異性から自分に向けられて「いいね!」が押された番号が掲載される。私は、可能性の幅を広げる為、「いいね!」ボタンを沢山押した!そして、自分が押した番号が掲載され、次に、自分に入った番号が掲載される、、、が、されない。。。

なんと、私に対する「いいね!」が0票だった!!その後、「いいね!」ボタンを確認した後に、最終マッチングタイムが行われる。それは、第一希望から第三希望まで番号を押し、マッチングすればカップル成立となり会場外で番号交換が行われる。私は、「いいね!」が1票も入っていなかったが、こちらが沢山の人に「いいね!」を押していたので、まだ可能性はあると思い、ちゃんと、第一希望~第三希望までボタンを押した。結果、異性からは0票でカップル不成立に終わった!一緒に行った友達は、カップル成立し、番号交換した。そしてその後実際に付き合いだした。

“いやー。やっぱり、私は万人受けするタイプじゃないから難しいな!”と思い、もう行くのはやめようと思ったが、この話を面白可笑しく色々な人に話すと、1つ下の会社の後輩が「私も行ってみたいです!!」と言う。仕方なくまた行くことにした。しかし、ここは、前回の経験を活かし、少しでも万人受けするよう、コムデギャルソンのシャツをトゥモローランドのシャツに変えて挑んでみた!また、いっぱい「いいね!」を押した。すると、なんと、3票「いいね!」を獲得することができた!そして、カップルも成立し、line交換もした!しかし、自分が3票獲得したことですっかり満足してしまい、その後lineのやり取りは続かず終わってしまった。

 でも何も後悔はしていない。万人受けは大事だという事と、でもやっぱり自分は自分の好きなものがはっきりしていて、それを好きになってくれる人が好きだからだ。

 その後出会った、夫グレイスは、ギャルソンが好きだし、私の大好きな靴チャーチを履いている。

 『割れ鍋に綴じ蓋』ではないが、必ずピッタリな人がいるものだと思った。

同期との最後の別れ

 13年間勤めた会社を辞める3月の桜が咲くか咲かないかの時期。同期の3人が結婚のお祝い&送別会を開いてくれた。場所は新大久保の韓国料理店。

 会社は全国展開しているため、入社後研修を経て同期は全国各地に配属される。なので同期だからと言って頻繁に会う仲ではないのだが、同期というのは社内でも特別な存在で、他部署で活躍している話とかを耳にすると自分が褒められているようでいつも嬉しかった。だからこの会をとても楽しみにしていた。

 会は終始楽しく進み、ケーキを食べ、お腹いっぱいになりながら外へ出た。

私は3人夫々にお礼のプレゼントを300円ショップで用意していたので道端で1人づつに渡していった。

 Eちゃんは、部署が3人だけの新設立された部署に配属になったので、3人で行く用の小さなお花見セット。
 Fちゃんは、社会人になってから20キロも太ってしまったので、ダイエットグッズ。
 そして、Sちゃん。Sちゃんは、常に若者の流行を研究し仕事に繋げようと頑張っていた為、私は「若者研究科!」と呼んでおり、その若者研究科Sちゃんには、一昔前に女子高生の間で流行った自撮り棒をプレゼントした。

Eちゃんにあげた時も、大盛り上がり!
Fちゃんにあげた時も、大爆笑!
Sちゃんにあげた時は、またまた道端で大盛り上がり!

Sちゃん:「チョー面白い!!折角だから最後にこの自撮り棒使って皆で写真撮ろうよ!!」

皆:「良いねー!!撮ろう!撮ろう!」

と会話していた瞬間。

「すみませーん。TBSの者ですが、今すごく盛り上がっていらしたので何やってたか取材させて下さーい!!」

とテレビカメラが私たちのところに来た。

その次の瞬間、全員で黙りこくり

いや、盛り上がってません!!なんでもないです。じゃーねー!バイバイ!!」

とそれぞれの駅の方向に分かれてバラバラに歩いて行った。

これが、同期3人との最後の別れ方だった。

写真を撮るわけでもなく、最後別れを惜しむわけでもなく、テレビの取材班によって、何事もなかったように別れた。

なんだか、私達らしい最高の別れ方だった。

思い返すと今でも笑ってしまう。最高の思い出をありがとう!!

皆、それぞれ皆らしくこれからも活躍してね!!

そして、いつの日や夫々が活躍した姿をTBSに取材してもらおう!

シャトルマム!!

 大学3年生、20歳の夏、私は高校時代からの仲良しの3人でスイス、ドイツ、フランスを回る17日間のバックパッカーの旅に出た。
こんなに、毎日新しい事、物、人に触れ、何が起こるかわからない、ワクワクが止まらない経験は一生のうちにこの時だけかもしれない。真夏の物凄く強い太陽が直接刺さってくるような、今思い出してもまぶしくてサングラスをかけたくなるような思い出だ。

 旅立つ前から下準備をしっかりした。Jは回るルートをある程度決め、ユースホテルを抑えるところは抑える係。Sはルートに従ってユーロラインの時刻表・乗り継ぎを調べる係。私は、回る街、建物の歴史を調べる係。大学は別々の私たちは毎週末準備の為に集まった。大きいガラガラ付きのリュックや何かあった時の為にカロリーメイトなど様々なものを買いそろえ準備万端で出発した!

 旅を始めて7日目、私たちは、ドイツの最も魅力的な城郭の一つであるフォーエンツォレルン城にたどり着いた。そこへは、時刻表マスターのSの力を遺憾なく発揮しシュトゥットガルトからヘッヒンゲンへ電車を乗り継ぎ、その後バスに揺られ、標高855mのお城まで登ってきた。

 お城は、壮大で正に「天空の城」。城壁に腰を下ろし、眼下に広がる光景を目にすると、11世紀頃からいくつもの戦争を経て今の威厳のあるお城が出来上がった歴史が想像でき、しばし、そよ風に吹かれながら、タイムスリップの時間を楽しんだ。

 それぞれが、素晴らしい光景に思いを馳せた後、その日泊まる予定の街へ向け出発することにした。

その時、ちょっとした揉め事が、

最寄りの駅まで、どのように行くかで揉めてしまった。バス?タクシー?タクシーならどこで拾うの?待って、シャトルバス?乗り場は?時間は?

あーだ、こーだと3人がそれぞれ意見を言うが纏まらず、少し皆イライラして声が大きくなってきた。普段温厚なSが

S:「どうするの!じゃー、バスにするのねッ!?いいのね?」

それぞれの思惑がまだ絡み合い、旅の疲れも少々重なったのか険悪ムードは続く。

その時、少し離れたことろで5歳くらいの少年が、母親を呼ぶために大声で叫んだ。

少年:「マームッ!マームッ!」

と同時に決まらない状況に嫌気がさしたSが、

S:「じゃー、もう、シャトルマムでッ!!」

カウ+J:「エッ、つられた、、、!!」

キョロッ、キョロッ

ワッハッハー!!

大爆笑し、3人揃って

カウ:「わかった、わかった、シャトルマム乗ろう!!」

と何度も言いシャトルマム、いや、シャトルバスで駅まで行き、無事その日泊まる街までたどり着いた。

まだ旅の前半戦で一瞬3人の空気が悪くなりかけたタイミングでの「マームッ!!」。
未だに語り継がれるこの話には、5歳の少年に感謝しかない。
今彼は、20歳くらいの青年になっている。今でもマーム、マームと呼んでいて欲しい。

学び!
行き詰った時は、とにかく面白いことをする。そうするとすぐ解決できるということが分かった。

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パスポートの話

 パスポートは、20歳以上になると有効期限10年か5年かで選択できる。

 15歳の時、友達に会いにワシントンに一人で行った。そのために未成年なので5年のパスポートを作った。

 20歳の時、丁度期限が切れたこともあり再度作った。この時、選択肢は10年と5年に広がった。小学生時代の夏休みがすごく長く感じるように、学生のうちは10年なんて先の事は遠すぎて想像もつかない。30歳?大分大人だな。結婚してるのか?子供がいてもおかしくない歳だな。ってか、何をやって暮らしているのだろう。わからない。なので、迷いはしたが結局、”30歳の時に20歳の時の顔写真で海外行きたくない!”という理由で5年にした。

 25歳の時、転勤で大分に住んでいた。休みごとに海外に行っていたが流石に、長期の休みは東京に帰りたくて大分に住んでいた3年間は海外旅行をしなかった。なのでパスポートは切れ、いざ、東京に帰れます!というのが見えてきた26歳の時に大分でパスポートを作った。この時もまた、10年と5年どちらにしますか?問題が発生。正直、20歳の頃からの5年間は早過ぎた。特に社会人になってからは月日は年々早く流れていくので、”これは10年で作ろう!”と思った時に、

「女性の方はご結婚などで苗字が変わる場合がございますので5年にされる方もいますよ。」

“ほほーう。結婚ねぇ。”

全く考えられなかった。27歳になろうとしているタイミングで確かに周りの友達もチラホラ結婚し始めたが、全く想像が出来なかった。なので、更新の手間を考えると、すぐ「10年で!」

と決めた。

27歳で東京に戻ってからは毎年海外旅行に行った。30歳から名古屋に転勤になっても行き続けた。

そして、月日は流れ35歳。私は突然結婚した。

今、新婚旅行の計画を立ててる中で気が付いた。

“あれ?パスポートの有効期限大丈夫かな?”

そう。現在35歳。新婚旅行に行くときは36歳。

26歳で10年の有効期限のパスポートを作った時の丁度10年後になる。

なんだか不思議だ。あの時、窓口で言われた「結婚で苗字かわる可能性がありますよ?」の言葉だけやけに覚えており、そして、「はい。それでも大丈夫です。」と答えた記憶。そして、10年後に苗字が変わっての新婚旅行。新しい苗字でのパスポート新規申請。
なんだか上手く出来ているなぁ。

と感じた出来事でした。

 

余談:ただ、20歳の時に「30歳の時に20歳の顔写真が嫌だ」と言って5年のパスポートにし、26歳の時に10年、36歳まで使えるパスポートを作ったが、今思うと、20歳→30歳の見た目の変化より、26歳→36歳の変化の方が物凄く激しかった!33歳から急激に何かがやってきた!

自分の愚かさを知る

  後輩Mと一番最初に二人で遊んだ時の会話。

 名古屋時代、Mが名古屋に異動して来たばかりなのと、少し引っ込み思案なところも見受けられたので、先輩風をフルに吹かせて、映画に誘った。
もちろんMは喜んで付いてきてくれた。

本当に、Mの事は名古屋に来るまで全く知らなかったので、自己紹介的な感じで、出身どこ?部活何?など聞いていた。

カウ:「実家どこなの?」

M:「調布です。」

カウ:「高校は?」

M:「あっ、都立です。」

カウ:「へー。学区は?」

M:「私、他の学区受けたので。」

カウ:「へー。私は、F高受けて、受かったけど、行かなかったんだ!わかるF高?N高が一番で、F高が2番目に良いの!でもけっちゃったんだよね~!」

物凄く自慢げに話した!

すると、

M:「わかりますよ!私、そのN高、F高、のN高なので。」

カウ:「えっ!」

これは、もう笑うしかなかった!

カウ:「マジで!?今の私の発言チョー恥ずかしいんですけど!やばいわぁ~!」

自分の愚かさに笑いが止まらなかった。

ただ、物凄く負けず嫌いな私は、

カウ:「じゃー、大学は?」

M:「早稲田です。」

カウ:「へー、N高出てる割には大したことないね。」

何て、馬鹿げた醜い強がりを後輩にしているのか!!

何を言っているのだ!!私は、自分の学歴を棚に上げ、早稲田なんて何度浪人しても絶対にいけない大学に行った後輩に対して「たいしたことないね~」なんて言っている。

本当に愚かで恥ずかしかった。

でも、この話は誰にしても絶対笑ってもらえるので、大好きな話だ。