上手く出来た話

~平成の最後に寿退社し、 令和の初日に結婚した私のお話~

夫グレイスとの出会うまでのニアミス史!


 私と夫グレイスの2018年9月17日に運命的な出会いを果たすまでの、過去のニアミスについて。

 

 私達は出会って1ヵ月半後に付き合いだし、その1ヶ月後には結婚することを決めていた、チョースピード婚である。
 出会ったとき、グレイスが37歳、私が34歳だったというのも大きな要因ではあるかもしれないが、振り返ってみると昔から私たちが結婚することが決まっていたような気がする。今まで数多くのニアミスを繰り返してきていた。

 

善福寺川公園:グレイスは近所に住んでいて、私は、週末に良く家族で善福寺川公園のボートに乗りに行っていた。行っていた記憶の頻度を辿ると、多分すれ違っていただろう。もしかすると、ボート同士でぶつかっていたりしたかもしれない。

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善福寺川公園ボート

 

井上防具店:私もグレイスも小学校1年生から剣道を習っていた。その共通点だけでも驚きだが、行っていた防具店が同じで、私の家から100mくらい。ましてや祖母の家の裏にある防具店だ。小学校から高校までお互い剣道を続けていたのだから。常に近くにいたのだろう。

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小学校1年生から始めた剣道

S中学校の文化祭:お坊ちゃま、お嬢ちゃま学校として有名なS中学校にグレイスは中学・高校と通っていた。私には2個上の兄が生まれた時からいつもいる(当たり前だ)。早生まれのグレイスは兄と生まれ歳は一緒だが、学年は1個上になる。兄が中学受験を考えていた小学校6年生の時にS中学校の文化祭に学校見学しに行った。その時グレイスは中学1年生。私は小学4年生。私は、見学に行ったことをはっきりと覚えている。“この学校に通いたい!”と色々兄に付いていった学校の中で初めて思ったからだ。
しかし、カウ家は祖母が方位に厳しく、何でも方位を確認しなければいけなかった。そして、方位がダメで、兄も私もS中学校を受験する事すらできなかった。
“ここに通いたい!”と思ったのは、グレイスがいると感じていたからか?

 

最大のニアミス!私の高校の友達A君の結婚式:グレイスとA君は仕事のお客様という付き合いで、グレイス義父とグレイスとで披露宴に出席していた。そして二次会に参加せずに帰っていた。私はというと、披露宴から誘われていたが、仕事でその日にどうしても抜けられない用事があったため、二次会から参加することにした。
もしも、披露宴から参加していたら確実に出会っていたし、あの時の姿をお互いに見ていたら、今日今この幸せは訪れていなかったかもしれない。

 

祖母の音楽スタジオ:私と(上記で出てきた)A君は高校時代から異性にも関わらず、何故だかずっと仲良しで、何かお互いに必要があると連絡を取りあっていた。そのA君から、名古屋にいる時に「カウ家のスタジオ貸して欲しい」と連絡があり、「いいよー」とやり取りをしていた。そして、そのA君がスタジオを借りた目的が、忘年会の出し物の練習とのこと。その出し物のメンバーの中にグレイスもいた!なので、3年前にグレイスはもう既に、カウ家の土地に足を踏み入れていた。この時も思う。もし私が名古屋に転勤になっておらず、実家にいたら、必ずや、練習しているA君のところに顔を出すだろう。そうしたら、グレイスと無防備な姿で会ってしまっていた。そして、ただのA君の友達で終わっていただろう。名古屋にいて良かった~。


 これだけのニアミスを私の生きてきた34年間の中で繰り返し、本当にベストなタイミングで出会った。書き出してみると、何か大きな力に操られているような、

 

“まだだぞー、まだだぞー、今ではないのじゃー。 ~~~ よしっ!今じゃ!!行くのじゃ!!”

 

などと言われながら、導かれた感じがしてならない。
ただ、ニアミスを繰り返しながらちゃんとベストなタイミングで出会えた事に感謝しかない!ありがとうございます!!