上手く出来た話

~平成の最後に寿退社し、 令和の初日に結婚した私のお話~

上手く出来た話

「迷い」と「決断」

 

 今、このタイトルで文章を書き、これからブログを開設し、1番最初の投稿で「りっすんブログコンテスト2019」に応募する!

 

 応募するにあたり「迷い」が生じ、締め切りギリギリになってしまったが、今までお世話になった方々に恩返しがしたいのと、私の半生を記し少しでも多くの人に何かしらの心の動き(大それたものではないが、“人生って面白いかもな”みたいなもの)を感じてもらえればと思い筆を執る「決断」をした。また、このタイミングが、”今までの面白い人生をシェアする絶好のチャンスではないか!”と思い、緊張しながらも応募させて頂きます!

 

人生初のブログ開設の「決断」には沢山の「迷い」が生じたが、逆に今までの35年間の人生での大きな「決断」をする際は、一切「迷い」は生じてこなかった

 

例えば、平成の終わり13年間勤めた大好きな会社をスパッと辞めて、令和の初日に出会って半年の人と電撃入籍し、家事など一切やってこなかったバリバリのキャリアウーマンから今時珍しいバリバリの専業主婦になった。

この「決断」にも一切「迷い」はなかった。

 

 会社は商業ディベロッパーで全国展開しているため、転勤族。

 20代半ばの3年間を九州の大分。30代前半の4年間を名古屋ですごした。仕事内容は常にトレンドの最先端に触れている内容だったので刺激があり毎日楽しかった。知的好奇心も旺盛のため毎年海外旅行は必ず行っていたし、欲しいものは躊躇せず買っていた。友達も多く、地方に暮らしているときも日帰りで東京の友達と遊ぶためだけに帰ったりして本当に独身を謳歌し自由に暮らしていた。仕事は終始忙しく、毎日朝から夜は22時~24時くらいまで当たり前のように働いていた。なので、計7年間の一人暮らし期間中も一度も料理などしたことがなく、キッチンは綺麗なまま。冷蔵庫には飲み物しか入っていない。洗濯以外家事を一切しない生活だった。

要するに、好きな楽しい仕事をめいいっぱいし、行きたいところに行き、やりたい事を全てやってきた恵まれ過ぎた半生だった。

 

仕事はバリバリやってきたが、高校時代から将来の夢を語り合う場面では「結婚するなら専業主婦になる!自分の母親のような人間になるんだ!」と言い、そう決めていた。結婚するなら仕事を辞めると当たり前のように思ってたので、今回の人生において結婚はしないだろうとも思っていた。

 

34歳(昨年)、4年ぶり東京に戻ってきた。実家は“住みやすい街No1”にも選ばれたことのある街の駅近立地。且つ、両親はピンピン元気。ならば脛を齧らせて頂く以外ない。迷いなく実家に戻った。

実家に戻り仕事は相変わらずバリバリやっていたが、生活スタイルは10代の頃となんら変わらず過ごしていた。

 

ただ、時代は平成が終わりを迎えようとしている中で私にとっても大きな変化が起こる。10代から大ファンでずっとファンクラブに入っていた安室奈美恵さんの引退6個年上の彼女は私たち世代の憧れ、神のような存在だ。アムラーではなかったが、ダンスを始めたのは彼女の影響が大きい。私は、高校時代から毎年3回ライブに行っていた。ライブに行き常に見てきていた中で “安室さんは40歳くらいでスパッと引退するだろうな” と感じとっていた。なので、引退発表はショックではく、むしろ”安室さんらしいな” と更に憧れを強くした。ラストライブも東京で高校時代から一緒に行っていた友達と行き、夢のような時間を過ごした。何か全てが満たされていた。

 

すると、人間贅沢なもので、突然、毎年行っていた海外旅行で行きたい場所がなくなった。最新の話題のスポットにも行きたくなくなった。会社でも常に新しいアイディアを提案していたのに、面白いことが考えられなくなった。全くと言ってよいほど欲がなくなってしまったのだ。

 

“おや?様子がおかしいぞぉ。現状の全てに満たされ、何もできなくなってしまった。” 自分に起こっている変化も何となく感じていた。“何もできない。何もしたくない。どうしよう。どうしよう。” 満たされた日々のはずなのに悶々としている。“そうか、今はこういう時期なんだな。ならば、ひたすら寝よう” と思い、夏休みもどこにも行かず、ひたすら寝て家で過ごした。

 

そして、時を見計らったように、父親から917のお見合いの話が舞い込んできた。30歳を過ぎてから、幾度となく父親はお見合いの話を持ってきた。当時は全く興味がなく全て断ってきた経緯がある。今回も、、、と思ったが、指定されたお見合い日程が安室奈美恵さんの引退翌日であったことから、ピンときて何かに導かれるように、名前しか知らない相手と会うことにした。

 

その相手が今の旦那さんである。

 

良く言われる “運命の相手は出会った瞬間わかる” 的な事は本当で、会った日に “あー、この人と結婚するなー” と思った。そして、私の大好きな言葉 “人間は一生のうち 逢うべき人には必ず逢える しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に” を実感した。

二人とも忙しかった為、交際スタートまでに1ヵ月半かかったが、結婚を決めるのには1ヵ月もかからなかった。

そして、面白いことに、交際が順調に進むのと反対に、仕事が全く上手く進まなくなった。自分では防ぎようのない問題が次から次へと起こった。それをヘトヘトになりながら熟したが問題が起きる度に、「はい。貴方のいる場所はもうここではないですよ。次に進みなさい。」と言われ背中を押されている気がした。

 

そして、平成の終わりとともに何の「迷い」もなくスパッと退職した。会社の人は、本当に驚いていたが、昔から知っている友達は皆、「らしいね!」と驚かなかった。

 

そして、今は慣れない家事に奮闘しながら毎日新鮮で刺激的に楽しく過ごしている。

これだけ今楽しく過ごしていられるのは、極端だが、ただひたすら楽しい仕事を朝から晩までやってきて、行きたいところ行き、やりたいことだけをやり、家事を一切してこなかったからだと思う。

 

そう、本当に何か、人生上手く出来ているなぁ。

 

それは、人間だから毎日泣いて過ごした日々もある。寂しかったり、辛かった時期もある。だが、そんな事誰しもが経験していることで、全部をひっくるめて本当に “人生上手く出来ている” と感心する。

 

正直、今までバリバリ働いてきていたのが、突然、自らの力での稼ぎが0になる事、キャリアが0になる事を考えると一瞬怖くなる時もある。しかし、“専業主婦になる” と迷いなく決めたこの決断が “正しかった!” と言える人生を送るかはこれからの自分次第である。多分、確実に “正しかった!” と言える人生になると思う。

 

 これからは、感謝の気持ちを込め、今まで人生で起こった “上手く出来ているなぁ” と思った奇跡のような話を執筆していく時間に充てようと思う。 “上手く出来た話” は、読んでくれた人が、クスッと笑ってしまうような内容にしたい。これがお世話になった方々への恩返しにも繋がればと。

 

「迷い」なく選んだこの「決断」の下、これからの人生にワクワクしている。